雄琴ソープ街「事情通」に聞いた裏話

日本のおヘソ滋賀県琵琶湖のほとりに位置する「雄琴ソープ街」。
その成り立ちや環境からも、全国のソープ街と比較すると異端な存在感を放ちます。
この地の歴史と現状に聞いた裏話をいくつか紹介します。

■「裏切られた?」ソープ業界
雄琴にトルコ風呂第一号店「花影」が営業を始めたのが1971年のこと。
トルコ風呂を建築したのは石川県のトルコ風呂経営者「田守世四郎」氏で、当時の風営法の法の目をかいくぐる発想でこの地に目をつけたのでした。

田んぼの真中に突如現れたトルコ風呂に京都、大阪、愛知の人たちは度肝を抜かれ、日夜花影目指して通い始めたのでした。
その盛況ぶりは凄まじく、客足が途切れることはなかったといいます。
それから数年であっという間に後続店が出現して現在の雄琴ソープ街が形成されたのでした。

雄琴ソープ街のそばには一般の温泉街「雄琴温泉」があり、長い歴史はありましたが完全に寂れてしまい、観光地としての知名度も低く経営難に陥っていたそうです。

ソープランドと一般温泉・・この両者は手を組み、「琵琶湖に多くの客を取り込む」という趣旨のもと、他の地域では考えられないような経営方法で雄琴を一大観光地に押し上げた歴史があるのです。
実際に雄琴の街を歩くと、ソープランドと一般温泉の道標となる看板などが共有され、ひとつの看板にソープランドと普通の温泉旅館の名が並べて書かれているものも存在します。

しかし時が経ち、バブルの崩壊後に客足が減ったことを機に、一般温泉の経営者たちが取った行動は「ソープ業界」への裏切りでした。

「雄琴青経塾」なるものを立ち上げて雄琴のクリーンナップ、風俗業界との差別化を計るために最寄り駅の駅名まで「雄琴温泉駅」から「おごと温泉駅」に改名、一般温泉関係の建物にはすべてひらがなの「おごと」に変更しました。

ソープ業界はこれによって打撃を受けたわけではありませんが、完全に「悪者扱い」のような待遇を、元の戦友から受けるハメになったのです。

■正真正銘の真っ当な商いをする雄琴のソープランド
事情通によると、雄琴のソープランド業界は真っ当な商いをし、非常にクリーンな業界であるとのことです。
多くの都市型の風俗業界のように、反社会勢力(暴力団関係)や地元有力組織などとの癒着がなく、滋賀県特殊浴場協会単独での活動をしているのだそうです。

一号店の「花影」がそうであったように、個人の経営者による店舗、または系列グループ店が主で、いわゆる「ややこしい関係」を有しない健全なソープ街のようです。
「クリーン・クリーン」とあえて強調せずとも、40年近くこの姿勢を貫いてきた姿勢には頭が下がります。

こういった業界の努力は各店舗の経営姿勢にも表れ、雄琴ソープ街は全国でも名が知られる優良ソープ街として君臨することになったのです。
雄琴ソープ街よりも規模もマーケットも大きいソープ街は全国に数多くありますが、ソープ談義をするときに必ず”雄琴”が列挙されるのにも理由があったのです。

バブルの崩壊や他業態風俗の台頭、エイズ問題、地元温泉街との確執など受難の多い雄琴ソープ街ですが、現在は下火になりつつあったソープ業界の盛り返しに雄琴も呼応し、減りつつあった店舗も代替、リニューアルなどで復興しつつある・・というのはソープファンにとっては嬉しい情報でもあります。