これを読めば福原ソープ街の歴史が5分で分かる

現在福原ソープ街で遊んでいる男性は、「可愛い子をどうやってみるけるか」「いかに安く遊ぶか」「プレイの上手いソープ嬢はいないか」ということに全神経を傾けているはずです。
しかしたまには趣向を変え「自分が遊んでいる街の歴史でも調べるか!」と知的になってみてはいかがでしょうか?
最近では「5分で覚える○○」とか「5分でマスターする●●」といった書籍が人気です。
ここでは「5分で分かる福原ソープ街」をまとめてみたいと思います。

●江戸期
福原の歴史は江戸期から発生します。
兵庫自体が港町として反映し、それに付随するように「遊郭」が点在しはじめます。
その後遊郭は花街として昇華しはじめ東京の吉原や京都の祇園などと同じく芸妓、娼妓 が姿を現しさらに栄えていきます。

●明治期
明治期に入ると、神戸駅の近くで巨大な遊郭ゾーンが誕生し、後年現在の福原ソープ街に移転します。
当時は芸妓、娼妓 が混在する形で一大歓楽街として有名になります。

●昭和初期
昭和27年に春日野新地に「青線地帯」が誕生。
第二次大戦のおり、空襲被害によって福原は消滅するが、50件の遊郭が移転復活します。
当時300名もの女性が従事していました。

●昭和中期
売春禁止法の施行で、福原の遊郭は消滅。
その後全国的に広がり始めた「トルコ風呂」が続々とオープンします。
当時は現在と違い福原地区はソープランド(トルコ風呂)だけではなく、当時人気を博した「ピンサロ」が混在する形で街彩っていました。
直近ではこれが現在の福原ソープ街の前身と言えます。

●昭和後期
1984年、当時一世風靡していた「トルコ風呂」に対し、日本に留学していたトルコ人留学生が祖国の名が性風俗店に使われることに衝撃を受け、厚生労働大臣に抗議し改名運動が全国的に広まります。
そこで東京の特殊浴場協会が一般公募をして選ばれたのが、現在の「ソープランド」です。
この決定は記者会見で行われ、メディアでも放送されました。
福原を含む全国のトルコ風呂が一斉にソープランドに改名したのです。

●エイズパニック
昭和62年、世界的に猛威をふるい始めたエイズが日本でも第一号の被害者を出します。
被害者は女性で、しかも神戸市在住であったことから、福原に風評被害が起こり始めます。(実際には無関係)
エイズは「エイズパニック」と呼ばれるほど全国で信憑性のない流言が広まり、メディアの加熱報道がさらに事態を悪化させてしまいます。
福原は「コンドーム着用義務化」の方針を打ち出し、大打撃を受けたソープ街の復興に乗り出しました。

●そして現在
現在は長年続いた不況や離婚率の増加による貧困女性の存在、若者の性交渉率の低下、高齢男性の性問題など様々な社会的要因がプラスに働き、福原は歴史的繁栄期に突入しています。

●まとめ
超高速で福原ソープ街の歴史を紐解きました。
中には抜けている部分も多少ありますが、概ね網羅しているはずです。
古くは平清盛の時代から福原には遊郭らしきものがあったそうですが、そこまでいくとマニアックなので、明治に続く江戸期をスタート地点に設定しました。