福原がソープ街となった歴史背景は?

兵庫県神戸市にある福原という街は、数多くのソープランドが立ち並ぶソープ街として有名です。
西日本ではトップクラスの規模であり、歴史的にもとても古い場所でもあります。
現在でも60店舗以上のお店が展開されており、震災の時などには地域住民に入浴施設を無料開放するなど、地域に根ざしたソープ街として営業を続けています。
福原が発展する切っ掛けとなったのは1180年の平安時代のことで、平清盛によって、福原に都を置き、大和田泊(現在の神戸港)を物流の拠点として経済や政治の中心地としようとする計画が実行に移されましたが、その後半年で源氏が政権を奪取したことによって計画は潰え、福原が都となることはなくなりました。
しかし、その後も大和田泊の港は利用され続けたことで、その周囲は発展を続けました。
時は流れて幕末の頃、外国人居留地が神戸港の近くに作られ、兵庫と神戸港の中間地点に外国人慰安所として作られたのが、福原ソープ街の前身となる福原遊郭です。
明治に入ると大阪~神戸の間に鉄道が敷設され、それに合わせて福原遊郭も現在の福原ソープ街の場所へ移転してきました。
福原遊郭は、常に100軒前後の妓楼が営業を続け、台風による被害や火災などが起こっても復興され、第二次世界大戦によって街が破壊されてもいち早く復旧され、1958年の売春防止法制定後は、多くの貸座敷がトルコ風呂(現在のソープランド)に営業を変えたり、営業許可を取らずに行っていた浮世風呂という独自の風俗も行われていました。
現在でも福原は日本有数のソープ街として知られていて、まずまずの活気を見せていますが、近年では不況による個人消費の低下などによって高級店などの営業が難しくなり、低価格で遊べる格安店や大衆店の数が増えています。
また、周辺に出来た新しいソープ街である雄琴や大阪の飛田といった場所の規模も大きくなりつつあり、昔ほどの集客が無くなっているという現実があります。
そのため、リニューアルなどではなく完全に閉店してしまう店もあり、徐々にその数は減少していっています。
今後もこのような傾向が続いた場合、今すぐにというわけではありませんが福原のソープランドが衰退してしまうということも有り得ます。
数十年先、福原のソープランドがどの程度の規模になっているのかはわかりませんが、福原ではソープランド同士で組合を作ってサービスの向上や街の安全性などに力を入れていますから、今後もさらに歴史を積み重ねていくことが期待出来るのではないでしょうか。