現在40代、50代以上の風俗好きな男性なら20年ほど前に「ピンサロ」が大流行していた記憶があるはずです。
繁華街の隙間を埋め尽くすように小規模なピンサロ店がひしめき、世の男性を魅了していたのです。
これらの多くは現在、閉店し、一時期の旺盛は跡形もなくなってしまいました。
「風俗業界の帝王」として知られる、ソープランドを勢いで凌いでいたピンサロたちは、現在は見る影もない状態です。
ここでは「ピンサロの衰退」と「ソープランドの復興」が何故起きたのか?平成の風俗戦争史がどんなものだったのかをまとめてみました。
●ピンサロの旺盛、ソープの苦難
’70年代に登場したソープランドは、その斬新さとクオリティーの高さで、全国各地にあった「チョンの間」から風俗王者の座を一瞬にして奪い取りました。
その後’80年代に入ると、アルサロ、昼サロの変形バージョンとして性的サービスを売りにしたピンサロが台頭したのです。
ピンサロの最大の魅力は「料金の安さ」「コンパニオンの若さと量」「多彩なコンセプト」で、当時の若者の性的好奇心を刺激し続け大流行したのです。
一方当時のソープ業界は「エイズの風評被害」「バブルの崩壊」「サービスのマンネリ化」などの要因で徐々に一時期の勢いを失い、失速気味でした。
その後に現れたファッションヘルスも流行したため、当時の若者からは「ソープはおじさんが行くところ」というレッテルを貼られる始末だったのです。
●ピンサロの失敗
現在ピンサロ状態は厳しい局面にありますが、その最大の理由を筆者の独自の視点で解析すると「業界の設立と健全化」が不十分だったことだと推測します。
それとは反対に、ソープ業界が一時期の苦境から復興できた理由もまた「業界の連携と健全化」だと言えるでしょう。
ピンサロはソープランドと違い、ボイラーや浴室など大きくコストのかかる設備を必要としないため、「裏風俗」が入りやすい業界でもあります。
女の子を数人揃えれば、喫茶店を改造してもできるのです。
もちろん裏風俗は健全な商売をしませんから、「ぼったくり」「詐欺まがいのサービス」「美人局」「カードトリミング」など、刑事事件になるような行動を取り続けます。
これを「ピンサロ」という一つのジャンルでくくられてしまうのですから、まともに商売をしている店舗はたまったものじゃありません。
お客はピンサロに対して警戒心を強め、一部の有名店舗のみが繁盛するという、業界にとってはよくない状況に陥ったのです。
ピンサロ業界が協会を設立し、しっかりと健全化を図っていれば防ぐことができたのではないでしょうか?
●ピンサロ業界内の競争激化
ピンサロが協会を全国化せず、各エリア内で競争が激化し「安売り合戦」が起きたことも、自滅の道を歩む原因でした。
現在でも東京には、「30分2000円」などといった、信じられない料金のピンサロがいくつも存在します。
この低価格はすでに商売のセオリーから完全に逸脱していますし、店の売上はもちろん、コンパニオン不足やサービスの低下に直結します。
風俗の常識である「折半計算」を用いたとして、男性を1回フェラでイカせてもらえる報酬が「1000円」では誰もやりたがらないのは当然です。
また、コンパニオン確保のための拠り所としていた「スカウトマン」も、キャッチに対する法整備が強化されたことで難しくなったことも運営に大きな支障をきたすようになったのです。
しだいに落ち目になった風俗嬢の駆け込み寺状態となり、コンパニオンサービスは低下の一途をたどる結果となったのです。
●おわりに
平成の風俗戦争史は、非常に熾烈でめまぐるしいものでした。
現在勝利の道を突き進んでいるソープ業界も、このまま進化をし続け、そのクオリティーを維持してもらいたいものですね。