歴史を感じさせる福原のソープ街

日本国内には、各地域にソープ街というものが存在します。歴史の古いものから、戦後に新しく形成されたものまで、その成り立ちと隆盛は様々です。その数あるソープ街の中でも、神戸の福原という地域は、歴史を感じさせるソープ街として名を刻んでおり、今もなお繁栄を続けています。

遡ること幕末の日本。神戸の開港に伴い、様々な国の人々が神戸に流入してきました。外国人居留地などは、今でも観光スポットとして訪れる方もいらっしゃるくらいです。その増え続ける外国人に対する慰安所として始まったのが、のちのソープ街となる福原遊郭です。当時は外国人のお客が頻繁に訪れ、非常に栄えたと伝えられています。その福原遊郭がのちに場所を変え、時代が移り変わり、今現在の場所に福原ソープ街として、現存しているというのです。

ソープ街というと、一般市民の生活圏内からは少し隔離され、どこか浮世離れした地域として認知されることが世の常ですが、福原のソープ街は、そういった他の地域とは一線を画しています。理由を話すには、あの阪神大震災まで遡ります。神戸周辺を震源地とする阪神・淡路大震災。当然ながら福原のソープ街も被災したわけですが、壊滅は免れています。そして、福原のソープ街は驚くべき行動に出ます。被災を免れた店舗が、入浴施設を無料開放したのです。そして、被災してしまってロクにお風呂にも入れない地域住民を助けたのです。非常事態では利益を度外視した助け合いの精神が、福原のソープ街には根付いているという事を物語る、素敵なエピソードです。

現在でも60店舗以上のソープがひしめき合う福原。少し前の不況の時代には、数多く店舗が閉鎖され、ソープ街全体が失速していましたが、近年盛り返してきている状況です。女性のクオリティーも非常に高く、若い新人からベテランまで、粒ぞろいという状況です。神戸という世界的にも有数の港町であり繁華街でもあるので、西日本のみならず全国から女の子が集まって来ます。その中で、働く場所を福原に選ぶ方も多いようです。

全国的にもソープ街が斜陽である認識を持つ方が多いですが、福原のソープ街には戦争を潜り抜けてきた歴史と伝統があります。いざという時に助け合うという精神とプライドがあります。性風俗産業というのは、下火になる時代はありますが、完全になくなるという事は有史以来ありません。福原に足を運ぶ際には、性欲を満たすというのが本懐ではありますが、余裕があれば少し街並みを歩いて、歴史を感じてみられてはいかがでしょうか?